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岐阜地方裁判所 昭和61年(行ウ)6号 判決

原告

二村みづ枝

右訴訟代理人弁護士

打保敏典

被告

高山労働基準監督署長後藤謹

右指定代理人

宇野力

中垣内進

波多野昭良

大堀仁士

中里弘

可知利将

河本博

三田村博

江崎隆雄

若田file_3.jpg男

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し、昭和五八年六月二一日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付不支給処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被災者

原告の亡夫二村銈一郎(以下「被災者」という。)は、昭和四五年ころ、訴外株式会社中部電子製作所(以下、「製作所」という。)に入社し、同五八年三月当時、岐阜県益田郡萩原町萩原一五三一番地所在の製作所萩原工場(以下「萩原工場」という。)に総務課総務係として勤務していた者である。

2  本件事故

被災者は、昭和五八年三月二日早朝、岐阜県益田郡萩原町萩原一〇一八番地所在の司法書士亀村善六(以下「亀村司法書士」という。)の事務所を訪れ、被災者所有の不動産に担保権を設定する登記手続を依頼したが、同司法書士から書類が不足している旨指摘されたため、原動機付自転車で帰宅する途中、同町羽根二五二三番地先路上において、進行方向左側の私道から後進してきた普通貨物自動車の荷台の工事用鉄筋の束に激突し、脳挫傷により即死した(以下「本件事故」という。なお、被災者の本件事故当日の右一連の行動を「被災者の被災当日の行為」という。)。

3  本件処分の存在

原告は、昭和五八年三月二二日、被告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災法」という。)に基づく遺族補償給付の請求をしたが、被告は、同年六月二一日、被災者の死亡は業務上の災害とはいえないとの理由で遺族補償給付を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

4  不服申立て前置

原告は、本件処分につき、昭和五八年七月二八日、岐阜労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をしたが、右請求は、同年一二月二六日棄却されたため、さらに同五九年二月二一日、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、右請求は、同六〇年一二月三日棄却され、同棄却決定は、同月二九日付けで原告に通知された。

5  本件処分の違法

本件事故は、製作所の就業時間以前に発生した災害ではあるが、被災者は、以下のとおり、使用者たる製作所の総務係として、その指揮命令に基づく業務遂行中に本件事故に遭遇したものであるから、本件事故は業務上の事由によって生じたというべきであり、本件処分には事実を誤認した違法がある。

(一)(1) 本件事故当時、製作所は、訴外中部電子システム株式会社(以下「システム」という。)と共同振出の約束手形(額面九六七五万円、支払期日昭和五八年二月末日)が不渡りとなることを回避するため、その資金繰りに窮していた。

すなわち、当時、システムには支払原資がない状況であり、製作所も、右手形の支払に充てるほどの資金準備は容易ではなかったから、右手形の不渡りはシステムの倒産のみならず製作所の連鎖倒産にもつながるという逼迫した状況であった。

被災者の長男であり、製作所及びシステムの各取締役であった訴外二村勉(以下「勉」という。)は、製作所の役員会において、右手形の不渡り回避のため、個人財産を提供して緊急融資を受けることを強く求められたため、やむなくこれを承諾し、右事情を被災者に説明したうえ、同人にその所有不動産(田・畑・山林等)の担保提供を懇請し、その承諾を得た。

そして、右承諾と同時に、勉は、製作所の役員として、同社の総務係たる被災者に対し、金融機関から緊急融資を受ける前提として、担保権設定登記申請手続を行うのに必要な書類等を持参して司法書士事務所を訪れ、右登記手続を依頼することを指揮命令したものであり、被災者は、勉の右命令に基づき、労働契約に基づく使用従属関係下において、亀村司法書士方を訪れ、帰宅する際、本件事故に遭遇したものである。

(2) 以上の事実に照らせば、本件においては、被災者の被災当日の行為につき業務遂行性が肯定されるべきである。

すなわち、

(ア) 不動産に担保権を設定する行為については、当該不動産を担保に供して融資を受けようと決意する「意思決定行為」と、担保権設定登記申請手続を行うのに必要な書類等を用意して司法書士等に依頼し、登記手続をしようとする行為とを明白に区別することができる。そして、前者は、会社の一従業員がよくなしうるものではなく、父子の情に基づくものであるとしても、後者はこれをなしうるものといわなければならない。

被災者は、自己所有の不動産を担保提供して融資を受け、会社を蘇生させようと決意したが、右「意思決定行為」ののち、使用者たる勉の指揮命令に基づき、製作所の総務係として、担保権設定登記申請手続を行うのに必要な書類等を持参して司法書士事務所を訪れ、右「登記手続をしようとした行為」を業務として遂行していたにすぎないものである。

(イ) また、本件事故当日には手形の不渡り即会社の倒産という異常事態が切迫している状況下においては、被災者の右担保権設定登記手続をしようとした行為は、会社の倒産を避けるため、やむをえずなされた緊急行為というべきであるから、当然に業務行為であるというべきである。

したがって、右事情のもとにおいては、被災者の被災当日の行為は、労働契約に基づく使用者の支配下にある状態での業務であるというべきである。

6  よって、原告は本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし4の事実はいずれも認める。

2  同5の事実のうち、被災者の被災当日の行為が就業時間外であったこと及び本件事故に至る外形的事実は認め、その余の事実及び主張は争う。

三  被告の主張

1  本件事故発生に至る経緯

(一) 被災者が勤務していた製作所は、昭和四五年一月一六日に設立され、のちに岐阜県高山市七日町三丁目五五番地に本店を置き、電気部品の製作販売を目的とする資本金一二〇〇万円の会社である。

(二) 被災者は、製作所設立と同時にその取締役に就任し、昭和五三年まで萩原工場の工場長として勤務したが、同五三年二月、勉が製作所の取締役に就任した時点で右工場長の地位を退き、以後、取締役ではあったものの、会社の経営には参画することなく、賃金の支給を受ける一従業員として勤務し、本件事故により死亡するまで、萩原工場の総務課に所属し、総務係として、左記の事務に従事していた者であり、同五八年三月一九日には製作所の退職が予定されていた。

(1) 納品書・請求書のチェック作業

(2) 消耗品の購入

(3) 商品材料の発注

(4) タイムカードの確認、時間外勤務許可決済書の提出

(5) 賃金支払手続明細書の提出

(6) 支払業務一般

(7) 安全衛生管理

(三) 一方、システムは、昭和五七年七月三日に設立され、萩原工場内に本店を置き、電子機器の製造販売並びに産業用機器の開発・製造・販売等を目的とする資本金一〇〇〇万円の会社であるが、同社は、製作所に複式簿記の簡易な帳簿記入が可能なコンピューター端末機「ケイリマン―S」(以下「ケイリマン―S」という。)の組立てを委託し、その完成品の販売を担当する会社であった。

(四) そして、勉は、製作所の取締役の地位を有したまま、システムの設立と同時に、出向してその取締役に就任し、資材課長の職名ではあったが、ケイリマン―Sの販売に主力を置いていた。

(五) システムは、昭和五七年八月から、訴外目黒電波測器株式会社(以下「目黒電波」という。)からケイリマン―Sの部品を購入し、その代金決済方法として、目黒電波に対し、製作所・システム共同振出の左記(1)ないし(4)の約束手形合計四〇通((1)から(4)までいずれも各一〇通)を交付した。

(1) 額面合計金額 九六七五万円 支払期日 昭和五八年一月三一日

(2) 額面合計金額 九六七五万円 支払期日 昭和五八年二月二八日

(3) 額面合計金額 九六七五万円 支払期日 昭和五八年三月三一日

(4) 額面合計金額 九六七五万円

支払期日 昭和五八年四月三〇日

(なお、以下、右(1)の各手形を総称して、「本件(1)手形」といい、同(2)ないし(4)の各手形も同様に表示することがある。)

(六) しかるに、ケイリマン―Sの販売実績は、当初の見込みを大きく下回り、本件(1)手形の支払期日を迎えるころには、システムの資金繰りは急激に悪化するに至り、システムの資金のみでは右手形の決済が不可能となったことから、システムの役員は、その個人財産を担保として提供し、金融機関から融資を受けて、本件(1)手形の決済をした。

(七) なお、その際の各役員の資金調達額は、左記のとおりである。

(1) 代表取締役訴外中田明久 二〇〇〇万円

(2) 取締役 同桂川元伸 二五〇〇万円

(3) 取締役 同二村勉 一〇〇〇万円

(但し、被災者所有名義の不動産を担保にしたもの)

(4) 取締役 同田中武夫他二名 五〇〇万円

ちなみに、右の借入に際し、勉及び右田中の融資に関する登記手続は、被災者が司法書士に依頼して行ったが、右中田及び右桂川に関するものについては、各自が手続を依頼した。

(八) しかしながら、その後もケイリマン―Sの販売実績は上がらず、システムは本件(2)手形の決済に窮することとなったため、勉は、システムの他の役員から、個人資産を担保として金融機関から融資を受け、これを提供するよう強く要請されたが、勉は当初これを拒否していたものの、取引金融機関からも資金調達の必要を説得されるなどし、勉も、ついに、目黒電波に本件(2)手形の買戻しを要請するのには買戻し資金の一部でも個人で用意する必要があると考えるに至り、昭和五八年三月一日深夜、既に就寝していた被災者を起こし、同人に対し、その所有する不動産を担保として提供し、融資を受けて本件(2)手形の不渡処分を回避する資金を調達することを懇願した。

(九) 被災者は、当初、勉の右要請を拒否していたが、勉の一時間余にわたる説得・懇請により、やむなくこれを承諾し、勉の意を受けて、昭和五八年三月二日早朝、不動産担保権設定登記手続を依頼するため、権利書等を持参し、亀村司法書士の事務所を訪れ、関係書類を預けたものの、同司法書士から、金融機関から受領すべき書類等が不足している旨指摘され、また高山市内の北陸銀行高山支店において、役員の訴外林幸男とともに融資の交渉に出向くため、いったん原動機付自転車で帰宅する途中、本件事故に遭遇したものである。

2  労災法上の業務災害の意義及び要件について

(一) 労災法上の業務災害とは、労働者の業務上の負傷・疾病及び死亡をいい(同法七条一項一号)、同法にいう業務災害と認められるためには、以下に述べるとおり、いわゆる業務遂行性と業務起因性が肯定されることを要する。

(二) すなわち、同法にいう「業務」とは、労働者が労働契約の本旨に基づき行う行為をいうものであり、換言すれば、当該労働契約によって生じた事業主と労働者との間における支配従属関係において、労使双方が予定し、あるいは社会通念上当然に予定される行為をいうものであって、同法にいう「業務災害」とは、労働者が、当該労働契約に基づく事業主の支配下において、右「業務」の遂行中に生じたものであることを要する(業務遂行性)。

その具体的内容は次の三態様に大別される。

(1) 事業主の支配下にあり、かつ管理下(施設管理下にあること。以下同じ。)にあって、業務に従事している場合、すなわち、業務行為及びそれに伴う一定の行為 (例、作業中の用便、飲水等の生理的必要行為、反射的行為、作業に付随する必要行為、緊急行為ないし合理的行為など)

(2) 事業主の支配下にあり、かつ管理下にあるが、業務に従事していない場合、すなわち、事業施設(事業付属施設を含む。)内で自由行動を許容されている場合

(例、休憩時間中など)

(3) 事業主の支配下にあるが、管理下を離脱して業務に従事している場合

(例、出張用務、外出用務、貨物・旅客の運送業務、その他事業場外で用務に従事している場合、それらの用務先との間を通常の、もしくは合理的な順路及び方法によって往復する途上(通勤途上に準ずるものを除く。)にある場合、ないしはこれらに伴う通常の、もしくは合理的な範囲内の行為(食事等))

(三) 次に、業務災害といいうるためには、右業務遂行性が認められることを前提としたうえ、当該災害が業務に起因して発生したものであることを要する(業務起因性)。すなわち、業務起因性が存するとは、当該業務から通常生ずべき結果の範囲内にあること、換言すれば、当該業務に従事していなかったならば当該災害が生じていなかったであろうという相当因果関係が存することをいうものである。

したがって、業務起因性は、業務遂行性を前提とするものであるから、業務遂行性が存しないときは業務起因性もまた認められないものである。

3  本件処分の適法性

被災者の被災当日の行為は、製作所の就業時間外の行為であるのみならず、雇用関係にないシステムのため、被災者が父子の情に基づいて行った私的行為にすぎないものというべきであって、これに業務遂行性を認めることはできないものというべきである。これを詳説すれば、以下のとおりである。

(一) 被災者の被災当日の行為は、雇用関係にないシステムのための行為であり、事業主である製作所のための行為ではない。すなわち、

(1) 被災者は、昭和五三年二月以降、もっぱら製作所を事業主としてその指揮命令下に業務に従事していたのであり、システムとの間にはなんらの雇用関係もない。

(2) また、本件(1)ないし(4)手形は、製作所とシステムとの共同振出しであるとはいえ、もともとはシステムの目黒電波に対する部品購入代金等の決済のため振り出されたものであり、本件事故当時、当面の資金状況としては、製作所は特に差し迫った事情はなく、資金を必要としていたのはシステムのみであったうえ、システムの役員会の協議に際して、本件(2)手形の決済資金として、製作所の従業員の給料を一時的に流用しようとの意見は、勉自身、会社が異なることを理由に反対し、本件事故発生後、本件(2)手形は、目黒電波により買い戻され、システムが分割してその返済をしており、製作所は右返済に関与していないこと等の事実からしても、被災者の被災当日の行為は、システムの資金調達のためのものというべきである。

(二) また、被災者の被災当日の行為は、被災者の父子の情に基づく私的行為にすぎないものである。すなわち、

(1) 昭和五八年二月ころから、システムの役員会において、本件(2)手形の資金調達のため、協議が行われているが、製作所の役員会において、右のような協議がなされたことはなく、当時、私財をもってシステムに資金を提供したのは、前記1(六)、(七)のとおり、いずれもシステムの役員ばかりであったうえ、勉は、本件事故の前日、被災者に担保提供を懇請する際、被災者に対し、右懇請が勉一人で考えたことであって、役員会の決定によるものでない旨を供述し、被災者も、右担保提供承諾の際、勉に対し、右担保提供をシステムの他の役員に内密にしておくように求め、勉もこれを承諾し、製作所の代表取締役であった訴外中田明久も、本件事故発生に至るまで、勉が被災者に対し、右懇請をしたこと及び被災者が右懇請に応じて亀村司法書士方を訪れたことを知らず、本件事故後に右事実を知ったにすぎないこと等からすれば、勉が被災者にその私財の担保提供を懇請したのは、製作所の役員会の決定に基づくものではなく、専ら私的な懇請であったというべきである。

(2) また、一般に、事業主が一従業員に数千万円にのぼる私財の担保提供を求めることは通常の労使関係ではありえないことであり、勉も、被災者にその私財の担保提供を懇請したのは専ら父子の情に訴えて私的に懇請したものである旨供述していたものである。なお、被災者は、前記1(七)のとおり、昭和五八年一月末ころ、同人所有の不動産を担保に融資を受けて資金提供したが、右担保提供もまた父子の情に基づいてなされたものであった。そして、被災者は、右担保提供については、製作所あるいはシステムに対する資金援助をする意図はなく、むしろ勉個人に対するものとしてこれに応じたものともいうべきである。

したがって、被災者が勉の右懇請に応じて私財を担保提供することとし、亀村司法書士事務所に赴いたのも、単なる総務係としての被災者の業務の範囲を逸脱したものであり、親子の情に基づく専ら私的な行為であった。

(3) 原告は、被災者がその所有する不動産を担保として提供する旨の「意思表示をなした行為」と、使用者の指揮命令に基づき労働契約下での使用者の支配下にある状態での業務として「担保権設定登記手続をなさんとした行為」とを区別し、前者が父子の情に基づく私的行為であるとしても、後者は、使用者の支配下にある状態での業務行為である旨主張するが、右二つの行為は一体のものであって、これを区別することは相当でないばかりか、不自然であるといわざるをえない。すなわち、被災者が担保権設定登記手続を司法書士に依頼しようとする行為は、その所有不動産を担保とする以上、当然のことであって、とりたてて事業主の指揮命令を必要とするものではない。被災者も、右担保提供承諾後、勉との間で、抵当権設定登記手続もしくは融資交渉を専ら被災者又は勉の名義と計算のもとに内密に行うこととし、製作所の名義ないし計算のもとで行うこととはしていない。なお、前記1(七)のとおり、被災者が抵当権設定登記手続を行ったのは、これもその所有にかかる不動産であったからであり、田中武夫名義の不動産の抵当権設定登記手続に関与したのは、偶然司法書士が同一であったため、便宜上ついでに行ったにすぎない。

仮に、右抵当権設定登記手続行為が製作所の総務係の業務に含まれるとしても、同社の一従業員にすぎない総務係に期待されている行為とは、製作所の役員会の決定に基づき、予め製作所と金融機関との間で抵当権に関する契約が締結され、登記申請に必要な書類も完備している場合に、製作所の名において司法書士に登記申請を依頼するなどの使者的な行為であるというべきところ、本件事故当時においては、未だ役員会の決定もなく、金融機関も融資額も確定されていない状態であった。

(三) 被災者の被災当日の行為は、製作所の就業時間外の行為であり、労働契約に基づく事業主の支配下にあるものとは到底いえず、かつ緊急行為として業務行為の範囲に含まれるものということもできないものである。

すなわち、一般に、業務行為としての緊急行為とは、事業場において、突発事故、天災地変などの緊急事態が生じた場合に、同僚労働者の災害救助のため、あるいは事業場設備の危険防止のためにする緊急の防護作業行為など、担当業務に付随する業務として、労働者に期待することのできる行為をいうものであって、事業主の資金調達難は、右にいわゆる緊急事態ということができないうえ、事業主が倒産の危機に瀕していたとしても、融資交渉が事業主の経営権に含まれるものである以上、従業員の付随業務となるものではないといわざるをえない。

(四) よって、被災者の被災当日の行為には業務遂行性を認めることができないから、本件事故は業務災害に該当せず、したがって、本件処分になんらの違法はない。

四  被告の主張に対する認否

1(一)  被告の主張1(一)ないし(七)の事実はいずれも認める。

(二)  同1(八)の事実は、勉がシステムの役員から個人資産を担保に供することを要請されたことを除き、認める。勉は製作所の役員会の要請を承諾したものである。

(三)  同1(九)の事実は認める。ただし、被災者は、製作所の取締役たる勉の指揮命令を受けて亀村司法書士方を訪れたものである。

2  同2の主張は争わない。

3(一)  同3(一)の主張は争う。

本件事故当時、製作所が、システムと共同振出の本件2手形が不渡りとなることを回避するため資金繰りに窮していたこと、システムには右手形の支払原資はなく、製作所も右手形の支払に充てるほどの資金準備は容易でなかったため、右手形の不渡りがシステムの倒産のみならず、製作所の連鎖倒産にもつながる切迫した状況であったことは前記のとおりであり、右手形金支払の資金調達は、システムのためのものであると同時に製作所のためのものでもあったのである。商品取引関係の実質上、システムが目黒電波に対し、直接の支払義務を負担することがあるにしても、製作所が右手形金の支払義務を負担し、会社倒産の危険性が存したことは疑いのないことである。

したがって、被災者の被災当日の行為は、製作所のためのものであったというべきである。

(二)  同3(二)(1)、(2)の主張はいずれも争う。

勉は、本件事故当時、連日連夜、製作所の役員から、勉の個人資産を担保として提供するよう求められていたものであり、製作所の代表取締役を兼任している中田明久をはじめとして、製作所の役員らは、既に個人資産を担保提供し、担保力を有せず、当時担保力を有していたのは被災者のみであるうえ、前記のとおり、昭和五八年一月ころ、被災者が担保提供したことがあったことから、最終的には被災者がその所有不動産を担保提供することを期待して、勉に対し、右要請を行っていたものである。したがって、製作所の役員は、本件(2)手形の資金調達に関し、協議を行い、もしくは勉が被災者に担保提供を懇請することに関与していたものというべきである。

なお、被災者が、昭和五八年一月末ころ、その不動産を担保提供した際、被災者は、製作所役員会の要請を受けた勉らから右担保にかかる登記手続を早急に行うよう指揮命令を受け、製作所の総務係としてこれを行っているものである。

また、勉は、当時被災者に対し、勉個人で考えたことである旨の供述をしているが、右供述は、役員会の要請を否定する趣旨ではなく、また被災者に担保提供を懇請することについて述べたものではない。勉は、被災者に右担保提供を懇請する際、多数の従業員を失職させるわけにはいかないこと、被災者も製作所の取引銀行との関係で保証人となっており、影響が予想されること等の事情を指摘し、本件(2)手形の買戻し資金を目黒電波に提供するにつき、その一部を負担せざるをえないとして説明するとともに、右の説明の内容につき、勉個人で考えたことである旨述べたにすぎないものである。

更に、勉が「担保提供の懇請が労使関係ではありえないことである。」旨を供述しているが、右供述は一般論を述べたにとどまるものである。同族会社においては、営業状態が悪化した際、会社役員が、親族である従業員に対し、資金繰りのため担保提供を懇請することはしばしば経験することである。

(三)  同3(二)(3)の主張は争う。

被告は、抵当権設定登記手続に関し、被災者に期待される行為はあくまで使者的行為であるにとどまる旨主張するが、右主張は、会社運営が正常な場合を前提とした形式論的なものであり、本件のごとく会社の倒産が切迫しているという緊急時に適合するものではないといわなければならない。一般に、会社倒産の危機状態に陥ったとき、従業員が提供すべき担保物件についての抵当権設定登記手続に必要な一切の書類を準備したうえ、金融機関まで右書類を持参して緊急融資を依頼することは経験則上しばしば認められることである。そして、製作所において、役員を除き、被災者以外に右手続行為をなしうるものはいなかったのである。

また、本件事故当時、勉は、役員である訴外林幸男を通じて北陸銀行高山支店に事前の交渉を行っていたものであるうえ、その融資額も、提供すべき担保物件にみあう最大限の額と決定されていたものであり、このことは、他の役員も了知していたことである。

(四)  同3(三)の主張は争う。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1ないし4の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、本件処分が適法であるか否かについて検討する。

1  本件事故が被災者の就業時間外に発生したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)を総合すれば、被災者は、昭和五八年三月二日午前六時五〇分ころ、原動機付自転車で原告の肩書地所在の自宅を出て、同七時ころ、亀村司法書士事務所を訪れ、その後、帰宅する途中、同七時三〇分ころ、本件事故に遭遇したこと、及び被災者宅から亀村司法書士事務所までの経路は、約二〇〇〇メートルの距離であり、右経路の途中約一四五〇メートルの地点に製作所の萩原工場が存すること、本件事故現場は被災者宅から約六五〇メートル、萩原工場から約八〇〇メートル離れた地点であったこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、本件事故が、被災者の就業時間外に、その事業所外で発生したことが明らかである。

2  ところで、労働者の負傷、疾病、障害又は死亡(以下、「災害」という。)が労災法に基づく保険給付の対象となるには、それが業務上の事由によるものであることを要するところ、そのための要件の一つとして、労働者が労働契約に基づき事業主の支配下にある状態において当該災害が発生したこと、即ち労働者が業務を遂行中に当該災害が発生したことが必要であると解するのが相当である。

そして、労働者の就業時間外又は事業場外において発生した災害は、一般的には、労働者が事業主の管理下から離れていることが通常であるから、労働者がその就業時間外又は事業場外においてもなお事業主の支配下に置かれていたと認めるべき特段の事情がある場合を除き、業務上の事由によるものということはできないと解すべきである。

3  そこで、本件において、以上の見地から、被災者の被災当日の行為につき、右特段の事情が存するか否かにつき検討する。

(一)  被告の主張1(一)ないし(七)及び(九)の各事実はいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実及び先に判示した事実に加えて、(証拠略)を総合すれば、以下の事実を認定することができる。

(1) 製作所は、昭和四五年一月に設立されたいわゆる同族会社であり、他方、システムは、昭和五七年七月に製作所の子会社として設立され、システムの取締役には製作所の取締役を兼任しているものが多かったこと、

(2) 被災者は、製作所の創始者の一人であって、製作所設立当初から取締役に就任し、昭和五三年まで萩原工場の工場長であったこと、他方、被災者は、勉をその後継者として育成するため、昭和四八年当時、訴外中部電力株式会社に勤務していた勉に対し、同社を退社して製作所に入社するよう説得し、勉もこれを了承して同年一二月、製作所に入社し、同五三年に取締役に就任したこと、そして、勉の右取締役就任に伴い、被災者は萩原工場の工場長の地位を退き、以後は取締役ではあったものの、会社の経営には参加することなく、一従業員として勤務していたこと、

(3) しかし、本件事故に至るまで、被災者は、担保に供して金融機関から融資を受けることが可能な財産を相当数有していたが、勉自身は担保として融資を受けることが可能な財産を有していなかったこと、製作所又はシステムの取締役も右事情を熟知していたこと、そのため、右取締役の間では、製作所又はシステムの資金調達に支障をきたした場合、勉を通じ、被災者から担保提供を受け、資金調達を援助することが期待されていたこと、したがって、右の意味においては、被災者は、事実上、勉の背後にあって製作所の実力者としての地位を保有していたこと、

(4) 昭和五八年一月当時、製作所は、訴外株式会社日立製作所の下請けとしてテレビ部品の制作を行っていたため、経営は比較的安定していたが、システムは、設立して間もないこともあり、また営業実績も伸びなかったため、十分な信用を獲得していなかったこと、そのため、額面合計九六七五万円の本件(1)手形の決済に必要な資金を調達することができず、金融機関から約四〇〇〇万円の融資を受けたにとどまり、残額をシステムの取締役であった訴外中田明久が二〇〇〇万円、同桂川元伸が二五〇〇万円、同田中武夫、同小金坂昭一、船坂俊夫の三名で五〇〇万円を個人で調達して提供し、これに加えて被災者が一〇〇〇万円を調達して提供し、同手形が不渡りとなることをかろうじて回避したこと、その際、勉が被災者に対し、その所有不動産を担保提供し、資金を調達するよう懇請し、被災者もこれを断り切れず、これを承諾したこと、

(5) その結果、システムは、もはや本件(2)手形の決済に必要な資金調達は不可能であったこと、他方、製作所も、同手形が製作所及びシステムの共同振出となっている関係上、多額の右手形金債務を負担し、更には同手形のみならず、本件(3)、(4)手形の決済を控え、そのための資金準備は容易ではなかったこと、また、製作所の取締役の多くがシステムの取締役を兼任しているため、製作所としても、取締役が個人で資金調達するにも限界があったこと、そして、本件(2)手形を不渡りとすれば、製作所は、日立製作所から取引を打ち切られることになりかねず、システムのみならず、製作所にも連鎖倒産の可能性が存したこと、したがって、同手形の不渡り回避はシステムのみならず製作所にとっても重大な問題であったこと、

(6) 製作所の取締役でもある訴外中田明久らは、本件(2)手形の不渡りを回避するため、目黒電波に同手形の買戻し資金の一部でも用意する必要があるとして、勉に対し、被災者から担保を提供してもらい、資金を調達するよう強く要請していたこと、右要請は、事実上の実力者である被災者の財産に専ら着目してなされたものであり、本件(1)、(2)手形の資金調達を通じ、他の従業員には財産の提供は全く求められていないこと、

(7) 勉は、本件(1)手形の決済に関し、既に被災者に担保提供を懇請し、その提供を受けていたため、右中田らの要請を拒否していたが、取引銀行である十六銀行高山支店の融資担当係員から、本件(2)手形の不渡りを回避できなければ、結局は、勉も被災者も保証人としての責任を負担しなければならない旨説明を受け、ついに抗しきれず、被災者に担保提供を依頼することを承諾したこと、

(8) そして、勉は、昭和五八年三月一日深夜、就寝中の被災者を起こし、被災者の不動産を担保として提供するよう懇請したこと、被災者は、右懇請が再度のものであり、また関係者からその財産を当てにされる可能性が高いことをも考慮し、当初は右懇請を拒否していたものの、自らの後継者たる勉が資金調達に苦労しているのをみかね、かつ製作所の創始者として、同社に愛着を感じるとともに、倒産した際の同社の従業員の生活を憂慮していたことから、同社の倒産を回避しようとして、ついに右懇請を了承したこと、次いで、被災者は、訴外林幸男に架電し、善後策を計り、融資先の打診をし、同人が北陸銀行高山支店を紹介するとともに、同人が保証人となる了解のもとに、翌三月二日に同支店で融資について交渉することとなったこと、その際、同人が、融資手続を円滑に行うためには、担保権設定登記手続に要する関係書類を整えることが肝要である旨述べ、被災者は、右関係書類を亀村司法書士方へ持参し、その準備をしてから、同人とともに同支店に赴く旨述べていたこと、勉は被災者に対し、担保提供に加えて、被災者において金融機関との融資交渉及び担保権設定登記手続まで行うよう懇請したこと、そして、被災者は、被災当日早朝、右林幸男に架電し、亀村司法書士方を訪れること及び帰宅後直ちに連絡するので同支店まで同行してほしい旨依頼したのち、亀村司法書士方に権利証等の登記関係書類を持参して同司法書士に右登記手続を依頼し、その帰宅途中に本件事故に遭遇したこと、

(9) 一般に、従業員が事業主の資金調達のために数千万円にのぼる私財の担保提供を行うことは、その性質上、従業員としての業務に含まれないこと、被災者は、萩原工場において、総務係として、納品書・請求書のチェック作業、消耗品の購入、商品材料の発注、タイムカードの確認・時間外勤務許可決済書の提出、賃金支払手続明細書の提出支払業務一般、安全衛生管理の各事務に従事していたが、その業務には融資交渉等資金繰りに関係する事項は含まれていないこと、勉も、被災者の担保物件により、最低限三〇〇〇万円程度の融資を受けることを期待していたこと、また、勉自身、岐阜労働者災害補償保険審査官に対し、右担保提供が父子関係によるものである旨述べていたこと、

以上の事実を認定することができ、右認定に反する趣旨に帰着する(証拠略)及び証人二村勉の供述は前掲各証拠に照らし、たやすく措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  右認定の事実によれば、被災者は、父子の情愛及び製作所への愛着・従業員の生活の憂慮からその所有不動産を担保に供することを承諾し、自らその融資交渉に赴くこととするとともに、右交渉及び登記手続が円滑に進行するよう書類を整えるため、自ら亀村司法書士方を訪れたものであり、被災者の被災当日の行為は出退勤途上のものということもできず、本件事故は、製作所の従業員としての被災者の業務とは関係のない被災者の私的行為によって発生したものと認めるのが相当であり、被災者が製作所の支配下に置かれていると認めるべき特段の事情があることを認めることはできず、本件全証拠によっても、他に右特段の事情があることを認めるに足りる証拠はない。

(三)  ところで、原告は、被災者がその所有する不動産を担保として提供する旨の「意思表示をなした行為」と、事業者の指揮命令に基づき労働契約下での事業者の支配下にある業務として「担保権設定登記手続をなさんとした行為」とを区別し、後者は事業者の支配下にある状態での業務行為である旨主張する。

しかし、前記(一)(8)に認定のとおり、勉は被災者に対し、個人財産の担保提供のみならず、担保権の設定契約締結及びこれと密接に関連する担保権設定登記手続をなすことまで懇請したものであって、これらは事柄上もむしろ一体のものであり、右一連の説得、懇請に関して、勉は被災者を指揮命令しうる状況にはなかったものであり、被災者は、右懇請を受けて、自ら担保権設定契約締結及び当該担保権設定登記手続をなそうとしていたものであることを認めることができ、右認定に反する趣旨に帰着する(証拠略)及び証人二村勉の供述は前記(一)の冒頭に掲記の各証拠に照らし、たやすく措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

以上の事実に照らせば、被災者の被災当日の行為につき、勉の指揮命令に基づき労働契約下での事業者の支配下にある業務として「担保権設定登記手続をなさんとした行為」のみを区別する原告の右主張は採用できない。

(四)  また、原告は、本件事故は、手形の不渡り即会社の倒産という異常事態が切迫している状況下においては、被災者の被災当日の行為は、会社の倒産を避けるため、やむをえずなされた緊急行為であるから、当然に業務行為というべきである旨主張する。

しかし、災害が労災法に基づく保険給付の対象となるには、それが業務上の事由によるものであることを要し、そのための要件の一つとして、労働者が労働契約に基づき事業主の支配下にある状態において当該災害が発生したことを要するのであることは先に判示したとおりであるところ、緊急行為といえども、事業主の支配下にある状態におけるものとして、労働者の担当業務に付随して労働者に期待しうる行為に限定されるものと解すべきである。

前記(二)に認定した事実によれば、本件においては、被災者の被災当日の行為は、事業者たる製作所の支配下にあるものとは認められないのであるから、本件事故が緊急行為によるものであるとしても業務行為によるものとみることはできない。

(五)  以上の次第であるから、被災者の被災当日の行為は業務上の事由によるものということはできず、被告のした本件処分は適法である。

三  よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川端浩 裁判官 柄夛貞介 裁判官 足立謙三)

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